カインドママ

魔境の夜

魔境に入ってから、どれくらい経っただろう。
プーが戻ってきて、グミ族の村に着いて。
無口な彼らに慣れてきて、マジックトリフを探すことにして。

そんな、のんびりしてしまっていた何日目かの夜のことだった。

「ポーラ、寝ているか?」
小さい声が聞こえた。
呼ばれたポーラは、うん、と小声で言いながら起き上がった。
「だあれ?眠れないの?」
もう少しで眠れそうだったけど、まあいいか、なんて思いながら、暗がりを見つめ、目をこらす。
「おれだ」
声の主が、ホームシックにかかったネスだと思っていたポーラは思わず声をあげてしまった。
「プー!?どうしたの?」
「しっ」
「あ…ごめん」
思わず口を押さえるポーラ。
あとの2人が寝ていることを確認すると、プーに向き直す。
「どうかしたの?」
小声で問う。
プーは目をふせ、ためらうが、すっと顔を上げてポーラを見つめる。
「胸を貸してくれ」

2人の間に一陣の風が通り過ぎる。

「え、な、何ですって?」
「胸を貸してくれ、と言ったのだが」
なにコイツ、何を考えてるの!?心の中でポーラはフライパンで彼を叩き飛ばしていた。
「ど…ういうこと…よ」
「ランマの女の言葉を借りると『いちゃいちゃして』ということになる」
ポーラは少し離れたところにあったフライパンを握り締めていた。
だが、行動には移せなかった。プーは、いつもの彼からは想像できないほど辛そうな表情をしていたのだ。
「ぐ、具体的に言うと?」
唾を飲み込み、尋ねる。
「抱いて欲しいだけだ」
「抱くって、抱っこ?」
うなずくプー。ポーラは、なあんだ、と笑う。
「いいわよ。眠れるまで付き合ってあげる」
ポーラが毛布を整え、手招きする。それに従い、素直にポーラの横に、ちょこんと座るプー。ポーラはまた、くすくすと笑う。
「かわいい子。おいで」

寝息が聞こえてこないのを気にして、ポーラが小声で問う。
「ねえ、どうして抱っこを『いちゃいちゃする』って言うの?」
「ランマの女がな、おれが子供扱いされて嫌がったから呼び方を変えたんだ」
「へえ…そうしてでも抱っこしたかったのかしら」
「だろうな。それを考えたのは赤ん坊を失ったばかりの母親だったし」
「…そう」
まわした腕で、とん、とん、と一定のリズムで背中を優しく叩きながら、ポーラは複雑そうな表情をする。どこまで聞いていいのか考えあぐねているのだ。
「それに、民のほとんどは長いあいだ国の復興に力を入れていたから、子供をつくる暇が無かったようだ」
「復興?」
「おれの国は一度壊れた。…話の途中で悪いが……眠れそうだ」
「うん。わかった。おやすみ」
「詳しいことは、おれの国に来たとき皆に話そう。…おやすみ」

 

 


「ねえ、いーすーちー。どうしてボクには父さまも母さまもいないの?」

親がいないからと苛められていた訳ではないし、悩んでいたという訳でもない。ふと、周りにいる子供には親がいて、自分にはいないのだなあと思っただけであった。それぐらい、おれにとって『親』という存在は軽いものだったのだ。
そのときのイースーチーの悲痛な表情を見るまでは…。

「…いずれ、王子が自ら知られることです。私めの口からお教えする訳には」
「えー。ってことは、しってるんだー。ずるーい」
「存じてはおりますが、理解してはいないのです。…申し訳ない、王子。少し部屋に戻ってもよろしいか」
「?…うん」

このときから、おれは『親』というものを気にしはじめた。
友の母親に強く当たってみたりもした。でも、ただ、困ったような、優しい笑みが返ってくるだけだった。

 

昨日も今日も、きっと明日も。
毎日毎日、飽きることなく修行に打ち込んでいた。 
自己鍛練に始まり、瞑想で終わる、地道な修行。全てから逃げたかったおれにとっては苦ではなかった。
だけど。
いつもいつも、瞑想をしていると悪霊が襲ってきた。
悪霊というのは想像で、実際はおれ自身の負の感情なのだと今では思う。
その『悪霊』は、おれの手足をもぎ取り、目玉を抜き取り、やがて全てを奪っていった。
そして全てを奪われたおれは…。
気がつくと、いつも修行部屋で座禅を組んだまま泣いていた。
その涙は、おれが未熟であるというあかしだった。

 

やがておれは『悪霊』が現れても反応しなくなった。
悟ったのではない。諦めたのだ。
たしかその頃、おれは他人と一線を引くようになっていた。
それもまた諦めていたのだ。

しかしその反面、寄ってくる女には好きにさせていた。
どうせ、おれが王子だからと寄ってくる者どもだ、と。
『どうでもいい』
そんな言葉が、おれを支配しつつあった。
それを、負の最たる言葉だと、おれは思っている。

やはり、瞑想を終えるたび、涙を流していた。

 

手足が欲しいか、光が欲しいか。
声が欲しいか。心が欲しいか……。

くれてやる。

失うものなど、何も無いのだから。

おれの手足、いや、おれの存在全て。
そんなもの、ただあるだけに過ぎん。
全てを失ったとして、誰が悲しむであろう。
ただ、王子が王になる前に消えるだけの話だ。

そう…おれは王子でなければ おれではないのだ。

…そう、なのだろうか?

王子という肩書きにこだわっているのは、おれだけではないのか?

違うだろう?王子である前に、おれはひとりの人間なのだ。


そして、父上と母上の子供なのだ。


そう思ったとき『悪霊』は消え、強い光が飛び込んできた。
「…ッ!?」
心を乱してはいけないのは判っている。
しかし、目を閉じているにも関わらず入ってくるこの光は一体…?
ああ、そうか。これがきっと『心で見る』というやつなのだろう。

見えてきたのは、赤ん坊を抱いた女性と、それを見守る男性。
一目で両親だと判った。
声を出せば聞こえるであろう距離で、2人…いや3人は静かに微笑んでいた。

しかし、その直後。
何かが空から飛んできた。
ものすごく黒い、暗い、負の…何かが。
その『何か』は地に落ち、地面を揺さぶった。
火山の無いランマの、最初で最後の地震だったのかもしれない。父も母も身動きがとれぬまま、別荘だろうか、小屋の下敷きになっていた。

赤ん坊は、花畑にいた。
地震の反動か、母の意志か、放り出されていたのだ。
そして、花が衝撃を吸収してくれたのか、無傷であった。
なぜ判ったかというと、その赤ん坊とおれは一体となっていたからだ。

このままでは、花に埋もれたまま死んでしまう。産声をあげて以来一度も泣いていない赤ん坊は、瞳も開けた事がなかった。

目を開かなければ。
声を出さなくては。
誰かに助けを求めなくては…。
瞳を開けない赤ん坊に代わり、強く強く願った。
眩しい光が入ってくる。
眩しさのあまり、泣き出す赤ん坊。
やがて、一人の男が赤ん坊を抱き上げた。

「王子…。これもさだめと存じてはおりますが、親を失い、私と少しの民と共に、あなたは何故生きねばならぬのでしょう」
イースーチーだった。彼は涙を流していた。
「つろうございます。私も家族を失ってしまいました。民のうち、子供は王子しかおりません…。ああ、あの明るい暮らしは戻っては来ぬのでしょうか…」
空を見上げるイースーチー。つられて顔を上げる赤ん坊。
「ああ、空はこんなに青いのに…王子、辛いのは私よりも王子のほうでしょう。私は余生をあなたに捧げるという喜びが御座います。だのに、あなたは望むことすら満足にできぬ人生を送られることでしょう。何のために…何を守れというのでしょう」
赤ん坊は、そっと手をあげ、イースーチーの頬に触れた。
「プー王子…?」
「イースーチー。おれは生きねばならぬ。だが、義務ではない。自分の意志だ。おれは、おれの家族を守るのだ」
目を丸くしながらも、イースーチーはおれに問う。
「ですが、王子には肉親はもう…」
「ランマの民、そして同じ空の下に生ける者すべてを家族とし、おれはそれらを守ろうと思う。だから…イースーチー。おれがそれを悟るまで、どうか見守っていてはもらえまいか」
ふたたび、イースーチーの目から涙があふれる。
「ええ、ええ!やりますとも!消えてしまったいのちの分まで、あなたに愛を注ぎましょうぞ!!」
言い終わるやいなや、イースーチーは赤ん坊を抱えたまま走り出した。
おれはそこに残された。ひとりではいるが、とても穏やかな気分だった。
負の悪霊よ、来るがよい。手足でも何でも、奪ってゆくがよい。
おれの意志は、消えはしない。
家族を守るため、おれはおれなんかには負けはしないし勝ちもしない。

 

「王子、この頃ムの修行に凝ってるんですってね。私、修行がにくい!」
ランマの女は、相変わらずおれにつきまとっていた。
「修行が終わったらまた遊ぶか」
「本当ですか?また一緒に花畑に参りましょうね。みんなで!」
「ああ」
「うれしい!」
おれを抱きしめる女。
はじめから不快と思ったことはなかったが、そのとき初めて気づいた。
おれはランマの女に母を見、そして男に父を見ていたのだろう。
親の無い者はおれを親のように、子の無い者はおれを子のように思っていたのだろう。

生けとし生きる者すべて、同じ空の下に生まれた生命という家族なのだ。
真理は違うかもしれぬ。しかし、おれはそのときそう悟ったのだ。

 

このおれの手足など、眼など、耳など、小さいものだ。
失ってしまっても、身近な者が悲しむのみだ。

しかし、おれは生きる。生きねばならぬ。
ランマの民の心の支えとしても、この星を救う戦士を助けるためにも。
全てを失ったとしても、おれは生き続ける。

さあ、修行は終わった。
あとは旅立つのみだ。

 

悟りをひらいた者は、愛を育まぬ。
そう決めたのは誰であろう。
おれは、そういう意味では悟りをひらいた者ではないのだろう。
修行を終え、ある程度は悟ったと言える。
しかし、全てを悟ったわけではない。
理解できぬことも多いだろう。

本当に、全てを悟るのは、その生命を終えるときであろう。
おれはその前に愛を知っておきたい。

 

 


プーが夢から覚めたとき、横にポーラはいなかった。
内心ホッとしつつ、あたりを見回す。
誰もいない。

しばらくぼーっとしていると、ネスが入ってきた。
「なんだよー。置いてかれたって勘違いして焦るかと思ってたのに」
「おはよう。よく眠れた?」
続いてジェフ。ポーラもいる。
「ただいまっと」
少しの沈黙。それを破ったのはネスだった。
「プー、お前って実は寝起き悪いのな。もうキノコ探し尽くしたぞ」
「ん…ああ」
「頭、まだ寝てる?いつもはみんなより早く起きてるから、寝起き悪いなんて気づかなかったよ。ぼくは遅寝遅起きだし」
「……夢を…」
「ん?」
「夢を、見た」
宙を見つめたまま、ぽつりと一言。
「夢?そりゃあ、見るだろ」
「いや…生まれて初めて見た」
「ふつう、寝れば見るモンじゃない?覚えてるか忘れてるかってだけで」
プーを除く3人は顔を見合わせ、首をかしげる。
「初めて本当に眠ったんじゃないかしら」
ポーラが首をかしげたまま言う。
「まさか…って思うけど、プーならありえるかもな」
「そうだね。じゃあ改めて言おうか」
かしげた首をもとに戻し、またプーを見る3人。
プーの目に光が戻ってくる。
「「「おはよう」」」
笑顔と共に、3人が言う。
「おはよう」
少しぎこちない笑顔で、1人が応える。

── …そういえば。

プーは空を見上げる。
久し振りに見る、気持ち良いほどの晴天だ。

── イースーチーは言ったな。望むことすらままならぬ人生を送るであろうと。

空を、雲を、青を見つめ、にっ、と笑う。

── 望む必要の無い人生、という捉え方も可能だな。

     おれの望むであろうもの…家族、友、安らぎ、そして愛。
     それらはすべて、望むより前に、ここにあるのだから。

2001/10/8 up
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