まざぁ・あぁす
『ネスはボーっとしている』
2匹目の『ナンバー3モグラ』を倒したとき、ジェフとポーラは、いつもと違う『ボーっとしている』ネスに初めて会ったのでした。
目の前で手を振っても、にらめっこのときのようなヘンな顔をしても、ネスはボーっとしたまま、身動き一つしません。いえ、じっとしているならまだ良いので すが、彼は、ときどき何かを見つけたかのように歩き出すのです。まるで夢遊病です。たまに口を開くと思えば、ママやパパ、トレーシーやチビを上の空で呼ん でいるだけ…。
そう、ネスはホームシックにかかっていたのです。
「ママが恋しいのね。子供なんだから」
ポーラが困ったような笑顔を浮かべます。ジェフは少しムッとしました。
「それは失礼なんじゃないか?…ぼくだって家は恋しい」
声は小さく、しかしはっきりとジェフは言いました。心なしか少し顔が赤いようです。
「あら、失礼なんかじゃないわよ」
ポーラはあっさりと返します。
「だって、子供なのは本当のことだわ。ああやって外に出せるのも悪いことじゃないし」
かすかにうなずくジェフ。ポーラは顔を少し上にあげ、ためいきを一つつきました。
「ただ…それがダンジョン内じゃなければねえ」
「それについては同感だ」
2人は顔を見合わせて苦笑します。そして、ある違和感に気づきました。
「…って ネスがいない!?」
「なにぃッ!?」
ところかわって、こちらはネス。1人でふらふらと歩いています。
ときどき立ち止まっては、ためいきをつき、うつむいて、座りこんで、立ち上がって、壁にもたれて。
「ママ…パパ…」
こぶしを、きゅっと握ります。涙が出そうなのです。
─── だめだ、だめだっ!こんなんじゃ!
心の中で叫びます。ぎゅっと目をつむり、歯を食いしばり。
─── こんなんじゃ…ギーグなんて倒せないっ
握ったこぶしに力がこもります。それでもだんだん顔が下を向いていき、むりやり上げている眉の端は、今にも下がってきそうです。
─── 強くなくっちゃ……。強くならなくちゃ…………
「とりあえず、テレパシーでネスに呼びかけてもらえるかな」
言いながら振りかえるジェフ。そこにポーラの姿はありませんでした。
「えっ!ポーラ!?」
慌てるジェフ。すると下の方からかすれた声が聞こえました。
「ジェフ……ここ…」
なんと、ポーラは風邪をひいて倒れてしまっていたようです。暑い暑い砂漠から、急に底冷えのする地下に下りたせいでしょうか。それとも、風邪をひかせる敵が、知らないうちに来ていたのでしょうか。どちらにしても、テレパシーを使うという手段は断たれてしまいました。
「フォーサイドに戻るか…?でも…1日じゃ着けないかもな…」
ジェフだけだったら、なんとか着くかもしれません。しかし、今は病気のポーラを背負っているのです。それに、たとえ今日中にフォーサイドに戻れたとしても、ポーラの風邪が治るまで待っていたら、ネスがどうなるかわかりません。
「ごめん……ジェフ。わたしったらダメね」
「気にしないで。…考えたんだけど、ショージ・モッチーさんの小屋からネスに電話をかけたらどうだろう?」
「電話をかけて…どうするの?実はね…さっき、はぐれる前にね、テレパシー…試してみたの。だけど、わたしの声じゃ…ダメみたい」
「…そう」
一歩一歩、ゆっくり歩いて…。なんとか、小屋に着きました。
「ネスの家にかけて、おばさんから電話するように頼めないかな」
「番号、知らないわ…」
「そう…うーん…。ポーラは、おばさんに会ったこと、あるんだよね?」
「うん。なんだかね、わたしのママと声が似ていたわ…」
ポーラの声がだんだん変わっていきます。喉にくる風邪のようです。
少しずつ体温が上がってきているポーラを気遣いつつ、ジェフは考えをめぐらせます。
旅をはじめてから、ネスは1度も家に電話をしていないようでした。
…少なくとも、ポーラが仲間になってからは。ジェフもポーラも、これまでに、何度か家に電話をかけていました。だから、ホームシックにはかからずに済んでいたのです。
─── てことは、やっぱり…家に電話だよなあ…
眼鏡の奥で、ジェフの目がかすかに光ります。
「ポーラ、ごめん。ちょっといいかい?」
壁にもたれて目を閉じていたポーラを起こすジェフ。思いついた作戦の説明をしているうちに、ポーラがだんだん楽しそうな笑顔になっていったのは何故なんでしょう?
こちら再びネス。うろうろしていたところを『ナンバー3モグラ』に見つかり、さすがに我にかえって逃げ出したものの、どうして1人で歩いていたのかわからないでいるうちに、また思考がおかしな動きをはじめていました。
─── ぼくはもう、弱音は吐かないって決めたんだ
しっかりもので気配り上手なポーラと、いついかなる時も冷静なジェフ。2人は、ネスにとってはずいぶんと大人に見えていました。多分きっと、ホームシック になんてかかったことがないんだ。無意識のうちにそう考えていました。思い返してみれば、家に電話しているところを見たことがないのです。
考えれば考えるほど、ネスは自分のことがきらいになってゆきました。…こんなときは、ママの声を聞いたら、すぐに元気になれるのに。
頭によぎった『弱音』を、首を振ってかき消し、ネスは……
ネスの目に、あついしずくがたまってゆくのを感じました。
と、そのときです。
プルルルルッ プルルルルッ
けたたましい電子音が鳴りました。ネスはとっさに受信電話をリュックから取り出しましたが、出ようとはしません。用のある人はいないはずだし、ママからは 電話がかかってきたことがないので、おそらくきっとパパでしょう。パパに、今の自分を知られるのは、恥ずかしい。ネスはそう思っていました。
だけど。
「もしもし?」
あまりにも長く鳴ってたから、仕方なかったんだ。自分に言い訳をしながら、ネスはやっと電話に出たのでした。
「ハァイ♪ネスちゃん!元気?」
ママです!…いえ、喋り方はママですが……全然違う人の声です。
「…ママ?……だれ?」
いぶかしがりながら返すネス。『期待外れ』そう思った途端、さっきは我慢できていた涙が次々と溢れ出てきました。
「え?ママよ!声が変だけど、風邪ひいちゃったからなの。だからネスちゃんの声を聞いたら、治るかなって思ってね♪どう?最近…」
「う…。ぐすっ、ぅくっ。ほんと…ぅに、ママ?なの?」
「う、うん!ママよ!あっ、ちょ、ちょっと待ってね!」
ポーラは…そう、ネスママのマネをしているポーラは、受話器の話し口を押さえながら小声でジェフに言いました。
「おばさまとは思ってくれてるみたいだけど……治らないみたい。重症なんだわ!」
予想外の状況に、ジェフも慌てています。とにかく、バレてしまえばおしまいです。たとえ良かれと思っていても、ヘタをすると取り返しのつかないことになってしまう恐れもあります。
「…と、とりあえず、話を聞いてあげて。くれぐれもバレないように」
力強くうなずいて、ポーラは受話器にあてていた手をどけました。
「あ、もしもし?ごめんね。小包が届いたの。…どうかしたの?」
あわててとりつくろって、電話を再開します。ネスの方は、少しだけ落ちついたようです。
「ぼく…ぼくには、地球を…救うなんて…できないよ……。弱虫で……。よく…ううん、たまに…家が恋しくなるんだ。…でも…。弱音、吐かないって決めたのに……」
「ネスったら!」
思わずポーラはいつものように返してしまいました。あわててジェフがポーラの腕を引っ張ります。
「あっ…」
小さく声を出すポーラ。ネスは…どうやら気づいていないようです。
「ネスちゃん!あんたはまだ子供なのよ?おうちが恋しくて当たり前!弱音を吐いたっていいのよ!…そうだ、今は1人じゃないんでしょう?仲間に相談したっていいじゃない。ね?」
「………」
「いやなの?だったら、辛いときはいつだって帰ってきていいのよ。そのあとに、またすぐ旅を再開するってこと、ママはちゃんとわかってるんだから」
ポーラのママっぷりも、だんだん板についてきました。電話をかける前に書いておいたメモの10倍は喋っています。ネスもけっこう落ちついてきたようです。
「ぼくだけ家に帰るとき、2人をつれていくのは…」
「ネスっ…ちゃん、ったら!ママは、あとの2人のママ代わりにだってなれるわ!ほら言ってたじゃない!『ポーラのママはぼくのママに似てる気がする』って!」
「えっ……。言ったっけ…?」
ジェフが腕を引っ張るより早く、ポーラは首を何度も振りました。
「そうそう!仲間だって、もっと頼ってあげなくちゃ、かえって可哀想だわ!」
「…そう、かなあ」
ネスはまだ、半分くらいは思考が止まっているようです。ママポーラの、わざとらしいまでの話のそらし方も、気にならないようです。ポーラはまた何度も首を振ります。今度は、縦に。
「そうよ!大丈夫!!ママが保証するわ!」
「…うん」
気のせいか、その声は笑っているように聞こえました。
「…ちょっとは元気になった?……トドメが必要かしらね」
「…?」
一呼吸おくと、ポーラの顔つきが変わりました。そして、今までに聞いたこともないような優しい声─声そのものは、風邪ひきガラガラ声ですが─で、言いました。
「ネス、わたしたちは、みんな、あんたのことが大好きなのよ。愛しているの。だから、もう少し、自分に正直に生きなさい。ね」
ジェフはもう、ネスを呼び捨てにしても、腕を引っ張ったりしませんでした。
「ママみたいに前向きに!ほらネスちゃん、ファイト、ファ・イ・ト♪」
「……ありがとう」
「…じゃあ、ね」
ガチャン、ツーツーツー
大きな大きなためいきを1つつくと、ポーラの顔は病人のそれに戻りました。ボーっとしていたジェフが、はっと我にかえって早口で言います。
「ポーラ!きみ、女優になれるんじゃないか?」
内心、ジェフは戸惑います。ああ!そんなことが言いたかったんじゃないのに!
「やあね。なれたとしてもモノマネタレント止まりよ、きっと」
にこっと笑うポーラ。その目からは、大粒の涙がこぼれています。
「あ、あれっ?」
「…少し、寝てなよ。ネスにはぼくが改めて連絡するから」
「…ありがとう」
小屋の隅にたたんであった毛布をポーラにかけ、ジェフはくるりと外を向きました。
ネスがつぶやきます。
「…ママ、ありがとう。…けど、なんだか、ママっていうより…」
ジェフが言います。
「きみは…完璧にママだったよ。なんていうか、とても大きな…」
2人が、言います。
「『おかあさん』だった。たとえるなら、この地球すべての…」
ポーラはにっこりと笑います。
「ありがとう。最高の褒め言葉だわ!」